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境内の案内

永保寺境内と塔頭寺院のご案内

永保寺境内と塔頭寺院

【国宝】観音堂(水月場)

観音堂
桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺で水月場とも観音閣とも呼びます。
夢窓国師が虎渓に来られて1年、正和3年(1314年)40歳のときに建立されもので、禅宗の伽藍の中では一番大切な仏殿すなわち本殿のことです。
明治34年3月国宝に指定され、さらに文化財保護法によって昭和27年改めて国宝に再指定されています。その主な理由は、
  1. この様式の建物では、鎌倉円覚寺の舎利殿についで鎌倉末期の唐様建築のすぐれた代表的遺作である
  2. 唐様建築の手法に、平安朝からひき続いた和様建築の手法を折衷させた特殊な建築である
  3. 建築の主要なところが比較的改修後補が少なく、当時の面影を完全に保っている
などがあげられます。

桧皮茸の伸び伸びした軒ぞりを持った豊かな屋根、上屋と裳階の巧みな均斉に、いかにもどっしりとした安定感を与える荘重な姿は、代表的な禅宗特有の建築スタイルということができます。
唐様と和様の折衷様式といわれる如く、40年程後に建立された開山堂に比して和様の手法が多くとり入れられています。すなわち、
  1. 軒に垂木を用いず四隅に隅木が見えるだけで板張りである
  2. 枓栱(ときょう)が詰組でなく亜麻組である
  3. 円柱の上部には粽(ちまき)をつけ台輪をおくが下部には粽も礎盤もない
  4. 床は坐式礼拝ができるよう拭板敷とし、裳階前面一間通りは吹き放しとなっている

正面観音開きの桟唐戸には上半に精巧な美しい花狭間の組子がはめこまれています。また須弥壇の上の岩窟式厨子には県の重要文化財に指定されている聖観世音菩薩の坐像が本尊として納められています。

【国宝】開山堂(僊壺堂)

国宝開山堂(僊壺堂)
夢窓国師の示寂された翌年、仏徳禅師の没後20年の1352年、永保寺では僊壺堂(せんこどう)が建立されました。当初は祠堂(しどう)部分のみでしたが、その後相の間を挟んで礼堂が増築され、現在の姿になりました。祠堂には右手に開創夢窓国師、左手に開山仏徳禅師の坐像が祀られ、その奥には開山仏徳禅師の宝匡印塔が祀られています。また相の間には保寿院開山果山正位禅師坐像並びに虎渓山歴代の古位牌が祀られています。

外陣(礼堂)は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺で、内陣(祠堂)は桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺となっています。
この開山堂は名勝庭園内の臥龍池を回った一番奥の僊壺洞(せんこぼら)に築造され、夢窓疎石や仏徳禅師が山居されていたとされる盤礴庵(ばんばくあん)や大包庵(だいほうあん)の跡が林になっています。

【国指定名勝】永保寺庭園

名勝庭園
面積約51,300平方メートル(内約8,000平方メートルは市指定)

観音堂を建立した夢窓国師は、石立僧としても大変すぐれた方でした。京都の西芳寺(苔寺)をはじめ、鎌倉の瑞泉寺、京都の天竜寺、山梨県甲州市の恵林寺など夢窓国師の作による庭園が各地にありますが、この庭も国師の代表作の一つです。自然の地形、景観を巧みに利用して築造され、中世禅宗寺院の庭園として高い価値があります。
当時虎渓山は四隣数里人無き幽境といわれていましたが、四囲の山の姿、岩石の形、水の流れを洞察して庭園を造り、寺を建立した夢窓国師の非凡な造園力には驚嘆すべきものがあります。
観音堂傍らの梵音巌、これにかかる水瀑を梵音の滝と名づけています。池は臥龍池と呼ばれ、心字池ともいわれています。池に架かる橋は無際橋、現在ではこうした屋形のある橋は珍しく、昔は一時仮の土橋だった時代があったともいわれますが、国師の作庭にこの種のものがあったとされ、昔からの形を伝えるものと考えられています。
石組、護岸等の細部は後世に改修されていますが、池畔のいずれからもその景観はすばらしく、観音堂、岩山、橋、池などの地割り構成の巧みさ、視界におさまる広さなど、みごとな造りの庭園です。
なお庭園の一部は通常非公開となっています。
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